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講義紹介「コミュニティ政策学入門」(2007年)           2007年10月5日掲載
テーマ 「ふるさと自慢」

「私の住む春日井市について」
                 石川 貴之さん
  (春日丘高校出身)

 @ 春日井市の概要
 春日井市は1943年(昭和18年)6月1日に東春日井郡勝川町、鳥居松村、篠木村、鷹来村が合併し、市制施行となった。また、1958年(昭和33年)1月1日には、東春日井郡坂下町及び高蔵寺町を編入した。
 春日井市の歴史は古く、旧石器時代〜近世まで200箇所を超える遺跡の所在が確認されています。中でも味美二子山古墳は90mを越える大きな古墳で国史跡に指定されています。また、「三蹟」の一人と言われる小野道風の誕生地の伝説もあり、「書」が盛んな町として知られています。
 春日井市は、尾張の北東部、庄内川をはさんで名古屋市の北部に接しています。市域を概観すると、北部から東部にかけては弥勒山(436.5m)・道樹山(428m)を中心とした400m前後の山地が連なり、多治見盆地との分水嶺となっています。その西側には標高200m以下の丘陵地域が広がっており、この丘陵面は内津川などの河川によって浸食され、谷地形を形成しています。市域の大部分には段丘地形が発達しており、市域全体が東高西低の地形となっています。
 春日井市には多くの産業が存在し、その中でも農業は、日本一を誇る実生サボテン(苗)や、他にも桃やぶどうなどの果樹生産が盛んである。また、王子製紙春日井工場を始めとして工業も盛んである。パチンコ関連の電子機器製造で知られるダイコク電機や東海地方を拠点にメガネを販売しているキクチメガネの本社、レンタルビデオ大手ゲオの本社がある。これは調べる前まで知らなかったことですが、春日井市というのは日本で最初にコンビニが営業を始めた場所だそうです。

 A 春日井市が今抱えている問題
 それは、勝川駅周辺及び勝川商店街についてです。勝川駅は中央線敷設と同時に建設されました。駅が出来たため人の出入りが多くなり、道路もでき、民家が増えるに従って商店もでき、勝川町に活気が出てきました。勝川町の発展の原点は中央線の開通と駅の開設と言っても過言ではないでしょう。しかし、複線化と電化により本数が増えてしまい、市道下条線の踏切は「開かずの踏切」の悪名まで付けられるようになってしまいました。

 B 問題の解決方法
 この問題の解決方法は、今はもう進んでいるのですが、勝川駅を高架上に作ると言う勝川駅付近連続立体交差事業・駅前土地区画事業・駅南口周辺土地区画事業・駅北区市街地再開発事業の大プロジェクトです。この工事が完成すれば、市道八光線が南に貫通し南北の往来が容易にでき、開かずの踏切も解消されます。特に駅北側は既設のホテルやルネックに加え、「ルネッサンスシティ勝川」をテーマに高層マンションが何棟も建てられ、その下には色々な店が入り、文化・商業・防災の拠点、「市の西の玄関」に相応しい活気に満ちた街・変貌する勝川に期待がかけられています。
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