2年生必見!
3年次選択必修科目の履修登録に向けて
このニュースが発行されるときは,2年生に対する3年次選択必修科目の履修登録説明会が終わり,何を履修しようかと考えていることでしょう。いま,何をしなければならないか,履修登録説明会の資料や『コースガイド』『学習の手引き』をよく読んで確認しておいて下さい。以下にその概要を紹介しておきます。
●3年次選択必修科目は,前期・後期にそれぞれ1科目を選択する。
3年次に設けられている以下の選択必修科目は,必ず履修しなければなりません。履修しなければ卒業できないことになる科目です。
情報処理実習(1・2),コミュニティ設計実習(1・2),コミュニティ運営実習(1・2)の3科目があります。そのうちから1科目を選択し履修登録します。情報処理実習とコミュニティ運営実習には複数のクラスがあるので,希望するクラスを選択します。
前期と後期で違う科目を選択することができます。ただし,同じセメスターに2科目を選択することはできません。また,前期・後期を連続して履修することが望ましい科目・クラスがあります。『コースガイド』等をよく読み,これからどのような学習・研究をすすめるのかを考えて各自の目標にそった選択をして下さい。
●履修登録は,前期・後期にそれぞれ行います。
前期の登録は,2000年2月下旬ごろに各自に郵送される所定の事前登録用紙にもとづいて第1次登録(第1希望)を行います。その結果は4月のオリエンテーションの日に発表・掲示します。各自で必ず結果を確認してください。
第1次登録で決まらなかった人は,登録可能な科目・クラスとその人数の掲示を確かめて教務課窓口で第2次登録を行います。それでも決まらなかった人は,同じ要領で第3次登録を行います。
4月はオリエンテーション後すぐに授業が始まります。登録期間が限られているので,必ず指定の期間中に登録してください。
●各科目には,定員があります。
第1希望で決まるとは限りません。複数の選択肢を考えておいて下さい。定員は,以下の通りです。クラスごとの定員は,後日,登録時までに発表します。担当される先生方と実習内容については『コースガイド』で確認して下さい。
情報処理実習――――――――3クラス・75人(うち6人は編入生)
コミュニティ設計実習――――1クラス・40人(うち4人は編入生)
コミュニティ運営実習――――10クラス・160人(うち10人は編入生)
●コミュニティ運営実習を希望する人は,必ず希望する先生の研究室を訪問する。
指定の期間に希望するクラス担当の先生の研究室を訪ね,実習内容や履修条件などについて十分理解しておいて下さい。情報処理実習やコミュニティ設計実習を選択しようと考えている場合でも,定員の関係で履修できないこともあるので,コミュニティ運営実習を履修登録することも想定して訪問しておいて下さい。
なお,先生の研究室を訪問できる日程・時間帯については掲示します。指定された期日に必ず訪問してください。訪問しなかった場合,履修登録できないことがあるので注意して下さい。
演習・卒業研究の履修登録は4月に行います
3年生からコミュニティ政策についての専門研究が本格化します。なかでも,「演習(1・2)」は4年次の「卒業研究」に直結する必修科目です。
3年次の「演習」と4年次の「卒業研究」は,2年間,同じ先生のもとで学びます。前期と後期で異なる演習ゼミを選択することもできません。
演習についてのオリエンテーションは4月に実施しますが,何をテーマにして学習するか,いまから各自の問題意識をはっきりさせておいて下さい。
なお,とくに注意してほしいことは,3年次の「演習」を履修登録しなかったとか単位を修得できなかった場合,4年次に「卒業研究」を履修登録することができません。その時点で留年が決まり,4年で卒業できなくなります。演習と卒業研究を同じ年度に履修することはできないので,注意して下さい。
履修登録は,各自の責任で行うものです。オリエンテーションに参加しなかったとか掲示を見ていなかったというのは理由になりません。責任ある態度で臨んで下さい。
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岡田先生のおとぼけ就職塾 その2
コミュニティ政策学部の就職先について
ある晴れた冬の日の朝のことでした。とつぜん、研究室のドアがノックされました。
あの、コミュニティ・ニュースの担当のものですが、先生の原稿が遅れているので……
えーと、最終の締切りはいつ?
来週の月曜日です。
本当は今回はパスさせてもらおうと思ったのですが、気弱な私は、それがいいだせませんでした。そして、N君は、月曜日の1時限目が終わったあとに原稿を受け取る約束をして、意気揚々と研究室を引き上げていったのです。
さてなにを書こうか。あまりアイディアが浮かばんぞ。最近、名古屋市内の台湾料理店で食べた“蛙の唐揚げ”についてのエッセーでも書くか(おいおい、これは就職講座の原稿だぞ)。それとも、“コミュニティ団体論”の試験問題と解答をここで公開しておくか。そうすれば、次回からこの記事を読む人が増えるかもしれない。それもまずいか。そうだ、先回の原稿を見てみよう。あ、最後にこう書いてある。「次回は、コミュニティ関係の仕事のことを書きましょう」。というわけで“コミュニティ関係の仕事”のことを書くか、とわざとらしいネタでページをかせいでおいて…。ここから本題です。
私は、今から、××年ほど前、東京の某私立大学の文学部日本史学専攻というところを卒業しました。そして、同じ大学の大学院で日本史を勉強して、以来、20年ほどあちこちの大学で日本史関係の科目を教えてきたわけです。でもそれは、考えてみると不思議なことです。たとえば、下の表を見てください。これは、愛知県豊田市にある某大学某学部の、今年3月卒業者の就職状況の一覧です。
製造業 | サンクス3、ピーエフユー2、三甲1、塩野義製薬1、積水化学工業1、昭和コンクリート工業1、愛知製鋼1、東郷製作所1、フェザー安全剃刀1、オーエスジー1、ミズノ1、日本端子1、富士通1、愛三工業1、いすゞ自動車1、ニデック1、日本光電工業1、アサヒ1、ヨネックス1、瑞穂医科工業1 |
建設・不動産業 | 積水ハウス2、ニッショー2、東日本ハウス1、太平工業1、貝沼建設1、カヤ産業1、三幸土木1、西戸建築1 |
運輸・通信業 | フットワークエキスプレス2、名古屋鉄道1、上組1、佐川急便1、築港1、東陽荷役運輸1、三菱自動車ロジスティクス1、両備バス1、福玉精穀倉庫1、佐川物流サービス1 |
卸・小売業 | ヒマラヤ2、八木兵2、本間ゴルフ1、大倉紙パルプ商事1、丸栄1、レリアン1、ダイナック1、愛知トヨタ自動車1、日本トイザらス1、日本マクドナルド1 |
金融・保険業 | 岡崎信用金庫2、しずおか信用金庫2、豊田信用金庫2、甲府商工信用金庫1、島田信用金庫1、東濃信用金庫1、鳥取信用金庫1、豊川信用金庫1、紀北信用金庫1、商工ファンド1、信用組合関西興銀1、千代田生命保険1 |
サービス業・マスコミ | 仁医会2、綜合警備保障2、ピープル2、神戸新聞社1、ダイエーオリンピックスポーツ1、セントラルスポーツ1、長島観光開発1、リゾートトラスト1、大阪赤十字病院1、サニックス1、JA清水市1、JAとぴあ浜松1、JA飛騨1、JA三重県共済1、JAホクレン1,JA岐阜1 |
教育・公務・進学・留学 | 国家公務員7、地方公務員11,高校教員2、中学教員2 |
どうですか。これを見て何学部かわかりますか?じつは、これは、お隣の中京大学体育学部のデータです。はっきりいってどこが体育学部かよくわからないでしょう。たしかに体育の教員になる人はいます。スポーツ用品関係に就職する人はいます。でも、大半の人は中京大学でいえば、商学部や経済学部や社会学部とおなじところに就職するみたいです。
たわし、いやわたしは、律儀にも、また幸か不幸か、大学で勉強したことをストレートに生かす職業についています。でも、一般的には、わたしのような例は例外的で、その意味で不思議なことなのです。
たしかに以前は銀行員=経済学部、出版社=文学部、公務員=法学部というような常識はありました。しかし、今はそれがかなりくずれている時代なのです。
いったいわたしは何がいいたいのか?
ようするにコミュニティ政策学部を出たからといって、特殊な就職先になるわけではないし、各企業に門前ばらいを食うことはないということです。いわんや就職先がないということではないということです。
こうした、かならずしも専門性にしばられないというのが、よくも悪くもそれが現在の四大卒の就職の現状です。ただし、実力さえあれば(その内容は、前の号を見てください)という前提は必要です。
では、コミュニティ政策学部(ついでにいうと、来年には、既設の本学や立教大学コミュニティ福祉学部のほか、常磐大学コミュニティ振興学部、岐阜経済大学コミュニティ福祉政策学科、聖学院大学コミュニティ政策学科等が、来年には勢ぞろいし、そろそろ大学というギョウカイでも、コミュニティは市民権を得つつあるようです)らしい就職先はないのか? ことばをかえれば、コミュニティ政策学部でコミュニティやコミュニティ政策をまじめに勉強した成果を生かすような仕事はないのか?
コミュニティは人と人との和です。私はお笑いでそれを作ることをめざします(こんなところをでっかい字で書いてどうする)といって吉本興業をねらってもいいのだけれど(冗談ではなく、こうやって強引にコミュニティとその会社を結びつけることも必要な能力です)、まあ、もうすこし一般的なコースもあるでしょう。
多分、ここで学んだことを直接生かせるのは、NPO の職員や各種コミュニティ・ビジネスです。でも、今のところ、まだ就職市場としては大きなものではありません。場合によっては自分たちで起業するという覚悟もいるかもしれない。この起業というのは、しばらく社会で経験をつんでからのほうが無難でしょう。若くして何百万、何千万という借金を抱え込むことになる可能性もある。あんまり、名古屋港に浮いた、かつてのゼミ生を見たくないな。
とすれば、この学部で学んだことを直接に生かせるにはやはり、公務員、それも学校事務や警察官・消防士を含む地方公務員でしょう。ただし、現在、公務員の採用はどんどん減っています。毎年開講される公務員・就職試験講座でしっかりと勉強してください。どうも最近受講者が減ってきたようで、近々てこ入れします。また、うちの学部は公務員に必要な科目がかなり充実しているのですよ。行政コースの科目を意識的にしっかり勉強してください。
また、コミュニティが存在し、かつそれ自体コミュニティであるのが地域社会です。その意味では、地域社会という場にあって、それを直接にささえていく各種の職業は、この学部の有望な就職先です。商工会議所・信用金庫職員、病院・診療所・福祉関係事務、JA・生協等の職員。いささかジミだけど、堅実です。
また、現在、多くの企業・団体は地域を対象とし、地域に根ざすことがもとめられています。そうした状況のなかでは、本学部学生が地域についても学んだ専門的知識と“精神”は直接的なかたちで生きるはずです。その意味では、広い意味で地域社会を相手とする業種の企業が就職先として考えられます。町づくりコンサルタント会社、イベント企画、運輸関係、マンション斡旋、住宅産業、ケーブルテレビ、ミニコミ関係。
就職委員会では対外的には次のようにも宣伝しています。
コミュニティは、わたしたちの幸福を実現するような社会関係・人間関係です。そのためコミュニティのあり方に深い理解をもち、コミュニティを作り上げる能力をもつ本学部の学生は、ひろい意味で社会関係・人間関係の専門家であり、人間・社会を相手する能力に秀でています。
本当にそうなるかどうかは、皆さんたちの努力次第ですが(と無責任にも逃げる)、このあたりが最大公約数的な皆さんたちの専門性のウリかなと思います。そこを重視する業種はたとえば次のようなものです。旅行社、ホテル、外食産業、テーマパーク関係、ブライダル、デパート等小売・流通関係等々企業一般。
といってもここまでくれば、企業全体に拡大できることです。ともかく、そのあたりを意識して勉強してください。
それでは、皆さんよいお年を! 2000年問題を無事にのりこえて下さい!
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ことば・コトバ・言葉
‘community’について 菅野正彦
皆さんが入学された「コミュニティ政策学部」は、‘School of Community Policy’と英訳されます。ご存じのように、今日、「共同社会」「地域社会」という意味で世間一般に広く使われている‘community’という言葉は、遙かラテン語まで遡ることができます。英語史では、それはフランス語から英語に入ってきたロマンス語と説明されます。その言葉が英語として使われるのは比較的早く、14世紀後半(1375)には文献に見られます。「一般大衆」「庶民」を意味しましたが、宗教色の濃い「一定の戒律に従って生活する集団」を表し、今日の「共同社会」とか「地域社会」という意味を表すようになりました。
‘community’は‘com’と‘munity’に分解されます。‘com’は「共に、一緒に」を表し、‘munity’は、ラテン語の‘munus’まで遡ることが可能です。その意味は「義務、責任」「任務、職」「負担、賦課」「好意、親切」「葬礼」「贈物、捧げ物、霊前の供物」「余興、見せ物」「劇場」など、広い意味を含んでいます。‘munus’が含まれている他の言葉に‘common’[com+mon(munus)]「万人に共通の」や、‘communication’[com+munication(munis)]「共有すること」などがあります。
また、‘munis’という形容詞があります。これは「義務を果たす、喜んでする、親切な」という意味を表します。
語源から見ると、本来‘community’という言葉は、町や村の安全を守り「その地域に住んでいる人たちが共同して、親切に、喜んで義務や責任を果たす」という意味を暗示しているのではないでしょうか。
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知識時代の組織と人の活き方
(システム的視点から) 第2回 沢 恒雄
愛知県出身の盛田昭夫氏は、世界的な大経営者であり、強烈な日本教信者でした。ご冥福をお祈りすると共に、こよなく日本を愛し、SONYを思い日本と日本文化を大切にされた偉大な経営者を偲びたいと思います。彼の語録から、我々にとって価値あるものを引用して激動の大変革期のヒントにしたいものです。 「MADE IN JAPAN;1987年刊行」より
*「もったいない」という言葉は,日本人の心と日本の産業の本質を説明する重要なキー・ワードである。大自然のすべてのものは神が託した聖なる品で、人間がそれを余すところなく利用しても、浪費は罪である。この言葉には一種の宗教的概念を含んでいると私は考える。
*創造性はすでに存在する情報や分析から出てくるものではない。それは、人間の思考,絶え間ない洞察力、そして多くの勇気を必要とする。コンピュータはあくまでも機械であり,それ自身創造的であることはできない。
*人にやる気を起こさせるには、彼等を企業と言う"家族”の中に引き込み、その家族の尊敬される一員として扱うことである経営者が心すべきことは、人はお金のためのみに働くものではないということである。働く意欲を引き出すのに,賃金のみが最大の効果を持つ武器であると考えてはならない。
*コンセンサスばかり強調する役員や管理職は、社員の才能を引き出し,彼等のアイディアを統合する能力が自分にないと公言しているも等しいのだ。日本の企業が協調とか合意を強調するのはいいのだが、1つ間違うとそれは個性の排除へつながりかねない。そういうことが起こるのを心配し,私は自分の考えをできるだけはっきり主張するよう奨励している。
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学生投稿記事 ちょっとオイシイ<シネマ>の話
Fight Club
アメリカで11月11日に公開され、未だかつてない賛否両論を巻き起こした一本の映画がある。それは、「エイリアン3」「セブン」のデビット・フィンチャーが監督し、「ジョーブラックをよろしく」のブラット・ピットが主演の一人である「ファイトクラブFight Club」である。
実はこのフィンチャーとピットは、「セブン」で一度コラボレーションを組んでいる。この映画は当時記録破りの大ヒットをし、フィンチャーはサイコスリラーの巨匠となり、ピットはスターの地位と演技力を証明した。この二人が久しぶりに組んだのが、今回紹介する「ファイトクラブ」である。
「ファイトクラブ」という物語は、エリートサラリーマン<ジャック>が、ある日、自分とは全く正反対の性格を持つ、アナーキーで攻撃的な<タイラー>と知り合うことから始まる。この出会いによって<ジャック>と<タイラー>は、後に<ジャック>を破滅へと追い込むことになる「ファイトクラブ」を設立する。「ファイトクラブ」は、素手で相手を殴り合い、穏やかな日常に麻痺してしまっていることに対する不満を暴力で満たそうとする集団である。<タイラー>はこれをより悪魔的な世界へと誘う。<ジャック>は、ファイトを通して人間性を解放させ、新しい自分を発見するが、しかし同時に自分自身をコントロールすることができなくなり、自滅の一途をたどって行く。はたして彼はこのまま暴力と自滅の世界を歩んでしまうのだろうか?
以上のようなダークな世界が作品全体に広がるのであるが、この映画の面白いところはダークなテンポの良さと、観客を不思議な世界へ誘う脚本、そして主演二人の演技力だ。
<タイラー>を演じるピットの、「ジョーブラックをよろしく」のロマンチックな死神とはうって変わった演技力。彼は、「セブン」のミルズ刑事をもっとダークにした、悪魔的な雰囲気を持ち合わせた演技で観客を魅了し圧倒する。
対する<ジャック>を演じるエドワート・ノートンは、デビュー作「真実の行方」また去年の「アメリカンヒストリーX」でアカデミー賞にノミネートされた実力派の役者である。彼も、エリートが自滅に向かって歩み出す過程を、舞台で培った演技力で表現し、ピットに引けを取らないその存在感は我々を圧倒する。
また、<タイラー>と<ジャック>の前に現れる謎の女性マーラーに、去年「鳩の翼」でアカデミー賞にノミネートされたヘレナ・ボナム・カーターが扮している。
すでにアメリカで大ヒットしているこの作品は、まもなく日本でも公開されるが、大ヒットするだろう。すでに前売券も完売に近い数字を示しており、その数字から観客の期待度が分かる。名古屋では2000年お正月に毎日ホール劇場で公開される。
最後にこの作品は「次の1000年を飾るにふさわしい作品」であることを言っておきたい。
Coming Soon, Movie
End of Days
今年のお正月映画に、ある男がスクリーンに帰ってくる。その男の名は、シュワちゃんことアーノルド=シュワルツネッガーである。彼の3年ぶりの新作が、今年の12月25日に日米で同時公開される「エンドオブデイズ」である。制作費はあの「タイタニック」より50億円多い150億円、「ユージュアルサスペクツ」、「仮面の男」のガブリエル=バーンという手強い共演者を迎えての久しぶりの主演作である。
映画の内容について軽く触れておくと……
1999年12月を迎えた我々人類の前に、次の千世紀を支配しようとサタン(魔王)が現れる。サタンは、全人類制覇権を手に入れるため、人間の姿を手に入れ、その鍵を握る花嫁を探していた。この花嫁とサタンが結ばれると地獄の扉が開かれ、魔物が住む地獄の世界が完成されてしまう。このサタンの野望を阻止するために、「運命」に選ばれた一人の男ジェリコが立ち上がる。ここに全人類の未来をかけた4日間が幕を開けた。
このビッグプロジェクトを手がけるのは、「サドンデス」、「タイムコップ」、「レリック」など、SFスリラーの奇才ピーター・ハイムズ。脚本は「エアフォースワン」を手掛けたハリウッド期待の新鋭アンドリュウ=マーロー。SFXを担当したのは、「エイリアン2」、「プレデター」、「ターミネ―ター2」、「ジュラッシックパーク/ロストワールド」の、SFXの先駆者スタン=ウイストン。最高のスタッフが集結している。
この今世紀最後(ミレニアム)を飾るにふさわしい「エンドオブデイズ」は、12月25日から、名古屋名鉄東宝劇場、名宝シネマ他全国東宝洋画系で公開!
最後に、
この世紀末超大作をビデオで見るのではなく、是非とも映画館の大画面でこの興奮を味わってほしい!
(四騎士の会)
日本四大巨匠(黒澤 明、木下恵介、小林正樹、市川 昆)
が作った会が「四騎の会」です。
ペンネームはそこから来ています。
この「ちょっとオイシイ<シネマ>の話」は学部学生からの投稿記事です。
Community Newsではこのような学生からの情報発信を心よりお待ちしています。
サークル活動への呼びかけなどにもご利用ください。
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セクシュアル・ハラスメント対応窓口
アルバイト先(職場)でセクシュアルハラスメントされたら?
コミュニティ政策学部では、学部の設立のときから「セクシュアル・ハラスメント窓口」がありますね。ですから、学生の皆さんは、大学では、セクシュアル・ハラスメントから守られているんだな・・となんとなく感じているようです。
でも、この「窓口」は、どこの大学にでもあるわけではないし、まして、何年か前までは、「事件!」が起こった大学がその対応のために急いで作っていた時期もあります。
つまり、「セクシュアル・ハラスメント」が誰かの人権を傷つける行為であるということは、とても「新しい」認識なのです。ですから、まだまだセクシュアル・ハラスメントに対する対応が遅れているところもたくさんあります。
時々、アルバイト先でセクシュアル・ハラスメントの被害を受けているという話を、皆さんから聞くことがあります。アルバイト先でのセクシュアル・ハラスメントを防止するには、どうしたら良いのでしょうか? 大学と、アルバイト先のような「職場」では、その対応はどのように違うのでしょうか?
法律上、職場におけるセクシュアル・ハラスメントが取り締まられるようになったのは、今年(1999年)の4月に、改正された男女雇用機会均等法が施行されたときからです。
それまでは、セクシュアル・ハラスメントを直接に取り締まる法律はありませんでした。ですから、以前は、職場でセクシュアル・ハラスメントの被害を受けたら、民法や労働法の他の規定を援用して、相手を訴えるしかありませんでした。「公序良俗」違反や「不法行為」などです。したがって、どのような行為が「セクシュアル・ハラスメント」にあたるのか、「セクシュアル・ハラスメント」の被害者は、どんな人権を侵害されたのか、という問題を、裁判で明らかにしていくのは、とてもむずかしかったのです。
新しい男女雇用機会均等法は次のように定めています。
第21条事業主は、職場において行なわれる性的な言動に対するその雇用する女性労働者の対応により当該女性労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該女性労働者の就業環境が害されることのないよう雇用管理上必要な配慮をしなければならない。
2 労働大臣は、前項の規定に基づき事業主が配慮すべき事項についての指針を定めるものとする。
さらに労働省は、どのような行為がセクシュアル・ハラスメントにあたるか、どの範囲まで「職場」か、という点について次のような詳細なガイドラインを作っています。
何がセクシュアルハラスメントか
@職場において、女性労働者に対する性的な言動に対する女性労働者の対応によって、その女性労働者が、解雇、降格、減給などの不利益を受けること。
A職場において、女性労働者の意に反する性的な言動により、女性労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じるなど、その女性労働者が就業する上で見過ごせない程度の支障が生じること。
B性的な言動とは、性的な内容の発言として、性的な冗談やからかい、食事やデートへの執拗な誘い、意図的に性的なうわさを流す、個人的な体験談を聞いたりする、など。また性的な行動として、性的な強要、身体への不必要な接触、強制わいせつ行為、強姦、ヌードポスター、わいせつ画像の配布、掲示など。
職場とは
通常の職場だけでなく、実質的に職場の延長線上であれば職場に該当。
接待などの場所、車中、顧客の自宅、懇親会等の勤務時間外の職場の集まりなど。
「アルバイト」は、当然、均等法にいう「雇用」にあたります。男女雇用機会均等法の適用について、労働省はセクシュアル・ハラスメントの防止のために、セクシュアル・ハラスメントに該当する範囲をできるだけ「広く」取るよう指導しています。
法律上、職場の事業主は、セクシュアル・ハラスメントを防止する「配慮義務」を負っています。セクシュアル・ハラスメントが行なわれていることを知って、何も対応しないと、配慮義務違反となります。配慮義務違反が認定されると、その企業は女性少年室から勧告・指導などの行政指導を受けることになります。
ですから、「アルバイト」先で、何か「セクハラ!」というような言動で、嫌なことがあったら、職場の上司に相談するか、セクシュアル・ハラスメント対応窓口や学生相談室に相談にきてください。どのようにしたらよいのか一緒に考えましょう。
「アルバイト」は、給料をもらうのだから、少しぐらい嫌でもがまんしなきゃ・・と言う声をよく聞きますが、労働者は決して事業主や上司より「下」にいるわけではありません。
自分を大切にして、嫌なときは「嫌」とはっきり言うようにしましょう。
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学生投稿記事 夏休み語学研修
北京第二外国語学院へ行ってきました
8月2日(月)から8月26日(金)までの25日間、姉妹校である中国北京にある北京第二外国語学院(以下、「二外」と略す)へ行ってきました。今年の参加者は10名(経営学部8名、コミュニティ政策学部2名)でした。
8月2日午後、 名古屋空港から飛行機で天津空港へ。その後バスで二外へ向かう。ここで私たちは学校の寮に泊まり、朝8時から12時までの4時間は中国語の授業、そして午後からは1日おきに北京市内の観光とフリータイム、土曜日は日帰りツアー、日曜日は終日フリータイムといったプログラムを約4週間の間繰り返すのである。2日目の夜、二外主催の歓迎会があり、二外の日本語学部長で現在は愛知学泉大学の客員教授である秦先生の「せっかく中国へ来たのだから何か食べたい中華料理はありますか?」という言葉に、学生の一人が「北京ダックが食べたい」と答えた。「明日、私が皆さんにごちそうしましょう!」と秦先生はおっしゃって下さったが、北京ダックはその歓迎会で出てきたので、この話はなかった事になるのかなと思っていたら、「別のものをごちそうしましょう!」という事にしてくださった。
3日目。この日は午後からフリータイム。二外で学生ガイドをしてくれた呉さんといっしょに4名でイトーヨーカ堂へ路線バスで買い物ツアーに出かけた。イトーヨーカ堂の隣にマクドナルドがあり、バリューセットを日本の約半額で食べることができた。
4日目。この日も午後からフリータイムだった。コミュニティ政策学部の学生2名と引率の浦田先生の3人は路線バスを乗り継いで天安門広場へ出かけた。天安門広場は予想以上に広かった。地下鉄の駅から天安門まで約1.5キロ、その間に毛主席紀年堂や中国歴史博物館・中国革命博物館があった。そして夜は秦先生主催の食事会があった。二外の近くにあるレストランで、客員教授の呉先生、長期留学生の今村さん(経営学部2年)、学生ガイドの呉さんも同席し、15種類の餃子をごちそうになった。
6日目は土曜日。この日は午前中万里の長城、午後から長陵へ出かけた。この日は呉さんにとって最後のガイドであった。呉さんはその日の夕方から列車で約40時間かけて故郷である福建省へ帰った。代わって周さんが我々をナビゲートしてくれる。その夜、私は今までに味わった事がないような強烈な腹痛に襲われた。病院で見てもらった結果、急性腸炎と診断され、2〜3日安静にしていれば治るとの事だった。
そして次の日は日曜日で丸1日フリータイムである。路線バスに乗ってイトーヨーカ堂へ買い物に行く人、たまった洗濯物を片づける人、人それぞれだった。この頃から風邪や腹痛といった体調不良を訴える人が増えた。中には、私のように病院行きになった者もいた。それぞれ自分で薬は持ってきていた。しかし薬が効かない。特に腹痛になった人の場合、「胃」ではなく、「腸」がやられているため、胃の薬が効かないのと、仮に胃がやられていても食べ物や環境が違うために薬では対応できなかったのであろう。
12日目。この日は土曜日、日帰りツアーで午前中は頤和園(いわえん)、午後から香山公園へ行った。香山公園は北京市内でも最高峰にあり、頂上からの眺めは最高だった、と言いたいところだが、当日は午前中雨で、午後から曇りだったのであまり眺めが良くなかった。これで万里の長城の時と続いて2週連続で土曜日は雨にたたられてしまった。香山公園は秋になると紅葉がものすごく奇麗になるそうなので秋に一度訪れると良いらしい。
14日目。いよいよこの旅行も後半へ突入した。この日は午前中授業、午後からは市内観光でようわきゅう擁和宮へ行き、夜天安門の近くの前門飯店へ京劇を見に行った。京劇は中国では芸術の一つで、男性が女性の役をやる。つまり、女性が男性の役を演じる宝塚歌劇団のようなものである。内容は「孫悟空」の話でそれほど難しくなかった。大変素晴らしいショーだったのでみんな感激していた。
18日目、この日は午前中終了式だった。この語学研修の参加者全員にニ外から「終了証書」を頂いた。
そしてこの日の夜から、いよいよこの旅行の最大のイベントである、「洛陽・西安の旅」が始まるのである。まず、夜行列車に乗るために北京西駅へ。駅のコンコースでは多くの人たちが寝ていた。この人達は、ホームレスではなく、列車を待っている人達なのだ。北京から地方へ行く列車は1日1本しかないことが多く、我々が乗る列車も洛陽まで約10時間かかるが、実は洛陽は終点ではなく、四川省の成都まで約40時間かけて走る列車だった。次の日朝、洛陽駅に列車が到着した時、我々と一緒に降りる乗客は窓から大きい荷物を降ろしていた。我々は現地の旅行会社ガイドの宮(きゅう)さんの案内で新友誼酒店(Friendship Hotel)へ向かい朝食を食べた。久々に、洋食バイキングだったので非常においしく食べる事ができた。ホテルで休憩した後、午前中は関林廟、10万体の石窟があり中国三大石窟の一つである龍門石窟へ行った。午後からは中国最古のお寺である白馬寺へ向かった。洛陽は北京よりも空気が乾燥しているのでよく喉が渇く。そのためいつもより多めに水分を摂らなくてはならない。そのために食事の時にはミネラルウォーター、コーラ、スプライトがサービスでついてくる。その日の夕食の後、みんなでホテルの近くの夜市を散策した。
20日目。この日は午前中ショッピング、午後は旅遊列車(観光列車)で西安へ向かった。ショッピングでは名物である唐三彩の馬の人形を買い求める人が多かった。北京のみやげ物店と同様、電卓を使って店員さんと交渉していかに安く買い物をするかがポイントである。午後からはガイドの宮さんに別れを告げ、旅遊列車(観光列車)に乗り約5時間かけて西安へ向かった。寝台列車と同様に最高級の一等車に乗った。西安の駅では旅行会社のガイドのりん林さんが我々を出迎えてくれた。この日から3日間は超高級ホテル「建国飯店」に泊まる。西安の駅から各自の部屋まで荷物を運んでくれ、チェックアウトの時には部屋からロビーまで荷物を運んでくれた。西安、洛陽のホテルでは日本語があまり通じなかったので、英語か中国語でしかホテルの従業員とコミュニケーションをとる事ができなかった。とにかく知っている中国語・英語をフルに使い身ぶり、手振りであいてとコミュニケーションを図った。西安では、しんよう秦傭博物館やシルクロードへの出発点である安定門等に行った。しょうがんとう小雁塔や安定門からの眺めは絶景であった。また、スケジュールに余裕があるため臨時出費ではあるがオプショナルツアーが組まれた。中国のミュージカルを見たり、デパートでショッピングを楽しんだ。
23日目。この日は北京へ戻るために飛行機に乗る。その飛行機までの時間を使い、空海が学んでいたとして知られる青龍寺へ行った。そして、お昼ご飯。この日のお昼ご飯は中国風のしゃぶしゃぶであった。中華料理にしては、いがいにあっさりしていた。そして、夕方飛行機で北京へ戻った。
24日目。この日は1日フリータイム。この日を使って1日帰国するための準備をしたり1ヶ月近く過ごした部屋の掃除をする。また、余った人民元を少しでも減らすために、都心部へお土産を買いにいった学生もいた。そして、その日の夜はお世話になった学生ガイドの周さん、呉さん、中国語の講義をして下さった先生と一緒に「答謝宴」を行った。そしてお世話になった学生ガイドの二人に、日本の曲が入ったカセットテープなどをお礼にプレゼントした。
そして、いよいよ帰国当日を迎えた。この日は10:00に天津空港を出発する飛行機に乗るため朝5:00に起床、5:30出発に二外を出発した。二外から天津空港までは高速道路を使って車で3時間かかる。その途中、我々の荷物を積んでいたワゴン車が突然故障して走れなくなってしまった。そのため、我々が乗っていたワゴン車に荷物を積み替えた。そして、かなり窮屈な状態で空港へ向かった。北京滞在中よく自動車が故障しているのをよく見ていて、「まさか、自分が関係している車がなるなんて…」と思った。
この、語学研修旅行は私にとって、ただ中国語を勉強するだけでなく、自分の視野を広げたり、人間的にも大きくなれる絶好のチャンスであった。この研修旅行の参加者の中で「また、行けるチャンスがあったら行きたい!」と思い、後期に入って、中国語の授業に対する取り組みをかえ、一生懸命勉強し先日、長期語学留学の試験を受けた人がいる。「結果」というものは挑戦してみないと解らないものである。コミュニティ政策学部の学生も「夢」を持っていろんな事にチャレンジしてもらいたいと思う。
なお、引率してくださった経営学部の浦田先生から記事をいただきました。
1999年夏の中国語学研修の引率を引き受けたものの、準備不足で中国語ができないままの出発となった。従って、中国滞在中は、親切に日本語か英語を話してくれる人とは、ある程度のコミュニケーションが成り立ったが、それ以外では話が通じず、分からないまま諦めることがよくあった。身ぶり手ぶりは、現在目の前にあることには使えるが、時間の軸を少し移動すると「明日の昼食は要りません」といった簡単なはずの内容さえ、なかなか伝わらない。では筆談は、というと漢字でも使用法が異なることが多く、生活にはやはり中国語の基礎知識が必要であると実感した(当たり前だ)。そこで、北京第二外国語学院からいただいた中国語の初級の教材にパラパラと目を通してみたが、全く身につかない。ここで「外国語は若い時に、集中的に、体系的に学ぶべきである」という常識を確認することとなった。
それに比べて、語学研修の参加者はそれぞれ中国語の力を格段に伸ばしたことであろう。彼等は中国語を勉強中の現役の学生であり、北京第二外国語学院では毎日午前中4時間、外国語としての中国語教育のプログラムでみっちり勉強した。参加者は、帰国後中国語の授業でその効果を感じているはずである。中国語はともかく、ある先生によると、語学研修に参加した学生は日本語でしっかり意見が言えるようになったそうだ。これも海外研修の効果の一つだろうか。
実際、語学研修では語学力以外の力も鍛えられる。研修中は普段とは異なる環境で生活する。つまり、大学キャンパスで寮生活をし、食堂で食事をする。朝は8時から授業がある。午後は市内見学旅行が入ることもあるし、自由に出かけることもある。以上のことを、さらに日本とは生活文化が異なる社会で行うので、勉強、時間、健康、安全、人間関係等ありとあらゆる点で自己管理力と適応力が普段の数倍必要になる。従って、語学研修では楽しいことばかりでなく、疲れたこともあろうが、終わった後しばらくして、どの経験も生きる力になる。その力を応用して、ひとりひとり、次の目標にチャレンジしてもらいたいと思う。
語学研修引率 経営学部 浦田葉子
浦田先生、寄稿ありがとうございました。
(文責:学生スタッフ 水谷幸生)
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図書委員会からのお知らせ
カレンダーの薄さが気になっているうちに、あっという間に、年の暮れです。
私も走っています。
さてさて、皆さん、図書館には何度くらい足を運びましたか?
授業の予習・復習、レポートや試験の準備のほか、新聞を読んだり、ビデオ資料をみたり、CDや データベースを動かしてみたり、気になることを調べたり・・・。
使い勝手はどうでしたか? 探していた資料や本は見つかりましたか?
みなさんの図書館です。
利用した感想や要望など、図書委員や基礎ゼミの先生などへ、遠慮なくお寄せ下さい。
コミュニティ政策学部の先生のご本
コミュニティ政策学部の先生が出版された本や雑誌のいくつかを、同僚の先生のおすすめの文章と一緒に紹介します。
レポートに役立ちそうとか、試験対策にというだけではなく、先生たちが日頃どんな研究をしているのか、どんな活動をしているのかを知る良い機会です。また、怖そうな先生と話をするきっかけとしても、是非手にとってみてください。
おすすめの文章と本の表紙は、図書館のカウンター横の掲示板にも張ってありますので、是非ご覧下さい。
山崎丈夫著 (自治体研究社)
『地域組織論――地縁の時代の町内会・自治会、コミュニティ』
さて、コミュニティ政策学部が発足して、はや3年、全員、就職も決まり、あとは卒論を書くだけです、はっはっはー、なんてことを再来年の今ごろには言ってみたいものだと、就職委員長としては思うわけですが、現実は、まだ2年目の後半。コミュニティ政策学部にいながら、“コミュニティ”“コミュニティ政策”というものが、まだまだピンときていない諸君が多いという状況かもしれません。
そういう悩みをおもちのあなたへぜひお薦めしたいのが、この本です。
『地縁組織』、なにやらこむずかしそうな本ですが、ひらたく言えば、サブタイトルにあるように、現代的な“町内会”“自治会”のあり方と可能性を説いた本です。
これを書いているのは10月10日の真っ昼間。町内はお祭りです。うちの親父は、今年は、ビール券がこなかったとご機嫌ななめです。にもかかわらず、表では一杯機嫌のどこかのオヤジがなにやら大声でわめいてます。
町内会は、お祭もやります、カラオケ大会もあります。それも、“住民間の親睦”という町内会・自治会の目的にそった活動です(ほんとかな)。でも、それだけではありません。町内会・自治会は、さまざまな可能性をもった住民自治のための住民組織です。著者は、そうした住民自治の組織としての町内会・自治会の役割を、あるときには理論的に、あるときには具体例で語ってくれます。そして、全体としては、現在のさまざまな問題を抱えた地域社会を、私たちの生活の場としてより良くし、本当のコミュニティを実現していく展望がしめされています。それは、わたしたちのコミュニティ政策学部が目指すことでもあります。
著者は、コミュニティ政策学部では、「まちづくり論」「コミュニティ活動論」等の科目を担当され、すでに皆さんたちにもおなじみです。長年、地方自治や住民自治の問題を実践的に研究されてきた方です。この本で学んだことを深めたい方は、先生の授業やゼミをとること。もっと深めたい方は、先生の授業に“夜の部”を作ってもらったらどうでしょうか。
文責 岡田洋司
『かめだより Japanese Turtle Letter 』
図書館ホームページについて
図書館の利用方法、年末年始の開館時間などは、図書館ホームページに載っています。資料の探し方についても詳しく説明されています。
ちなみに、文献探索法のページは、レポートを書くときの強い見方です。
是非、ブックマークに加えて、利用して下さい。
URL: http://www.gakusen.ac.jp/library/
最後に・・・
最近、ソファに横になる姿が目に付きます。
図書館は公共の空間です、みんなが気持ちよく使えるように、心がけましょう。
また、今年度になってから、靴の盗難が何件か報告されています。各自の持ち物は各自の責任で管理して下さい。外靴用のビニール袋を用意しています。
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映画紹介
「尋問」
1982年ポーランド作品
監督 アイジェイ・ワイダ
1991年カンヌ映画祭最優秀賞受賞
「人生は好きなことをして暮らした方がいい。」
「そんな快楽主義は、人民の敵だ。公正で安全な社会のために、堕落者は銃殺するべきだ」
今回紹介するのは、ポーランド映画の「尋問」です。
この映画は1982年に製作されましたが、すぐに反体制的という理由で公開禁止となりました。公開されるようになったのは冷戦終了後で、1991年のカンヌ映画祭に出品され、最優秀賞を受賞しています。
映画は、1950年代初めのポーランド、トニアという、酒場で歌を歌っている陽気で単純で男好きな女性が、ある夜、酒場での大騒ぎのステージの後で、突然に二人の男に連行されるところから始まります。
何がなんだかわからないトニア。帰して!夫に連絡して!何かのまちがいよ・・
そして始まる尋問。国家への反逆者と共謀、階級闘争、新体制、国家の安全、真実を話したらすぐに釈放してやる・・何の罪か言ってよ・・
果てしない尋問の月日に、次第に何の目的で尋問されているのかがわかってきます。
トニアの一夜だけの恋人に、国家反逆の嫌疑がかかっており、彼がスパイだったという証言をトニアはせまられます。知らない・知らないものは言えない・嘘は書けない・嘘の調書に署名はできない・・それはプライバシーよ・・信じた友人は裏切れない・・
繰り返される拷問に対して、トニアの態度は一貫して「人間」らしい。相手に屈するような振る舞いではなく、自分の感情に正直です。拷問をする警察官を非難し、悪口を投げかけます。あんたたちは豚。サディスト。ナチス。
すると、ある警察官が言い返します。
「あんたはナチスの収容所を本当に知っているのか。」
その彼の態度は、彼がその収容所の犠牲者であることをうかがわせます。そういえば、数年前のポーランドには…。終始普通の人間らしいトニアに、尋問・拷問をする警察官にも、人間らしい反応を示す人が出てきます。サディストではなく、ナチスでもなく、人民の国家を作るために反逆者を排除しようと、「誠実に」信じて拷問をする人。
映画の最後に、トニアは釈放され、老婆のように変わってしまった顔で、それでも普段と変わらない街の中を「普通に」歩くのがとても楽しそうです。拘禁されている間に生んで、直後に引き離された警察官との間の娘を託児所に引き取りに行き、昔住んでいた家に向かいます。そこには、夫が待っているはず。夫は、トニアが拷問されて書いた調書―夫以外の男性と恋愛を繰り返すほど自堕落な女性だ―を読まされています。トニアが再びはじめる生活は、そういう夫と、拘禁中に生まれた娘との3人の家庭。
この映画は、もちろん共産党指導下の社会主義ポーランドを告発しているのですが同時に、人間にとって、何が一番「崇高な」人間性なのかをも問いかけています。
外側の真面目さ、形の上での几帳面さ、基準からはずれた人を許さない厳格さ。
トニアの、下品で単純だけど、他人を愛し、人を裏切らない強さ。
人間が生きている意味を、普段とは別の方面から考えるにはとても良い映画です。
(星空のディスタンス)
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かめさんの生きもの日記(3)
西表島のミナミイシガメ の巻 矢部 隆
沖縄の南方、八重山諸島の西表島はイリオモテヤマネコで有名ですが、私はその島でも1987年からカメの研究を続けています。西表島にはミナミイシガメ、セマルハコガメ、スッポンの3種が分布していますが、今日はミナミイシガメについてお話ししましょう。
写真1 水田のミナミイシガメ。
西表島にて。
ミナミイシガメ(写真1)は甲長 15cm ほどの水生のカメで、八重山諸島の石垣島、西表島、および与那国島、また国外では中国南部、台湾、インドシナ半島北部、海南島に分布しています。ところが最近、八重山諸島のミナミイシガメは Mauremys mutica kami という亜種で、中国大陸や台湾に分布する基亜種 M. mutica mutica とは同種別亜種の関係にあることが明らかにされました。亜種名のカミというのはカメの琉球語です。京都付近にも生息していますが、これは M. mutica mutica の方です。京都の集団は人為的に移入され、定着したと考えられています。
なぜ遠い南の西表島にわざわざミナミイシガメを調べに行くかといえば、このカメが私が日本列島で研究を続けているニホンイシガメと近縁な種であり、生態や行動を比較したいからなのです。ニホンイシガメの学名は Mauremys japonica、ミナミイシガメは Mauremys mutica で、同属別種ということになります。
しかしその生態や行動は非常に異なっていることが分かりました。たとえばニホンイシガメではオスの方がメスよりもずっと小さいのですが、ミナミイシガメではほぼ同じ大きさです。そしておそらくそのことが関係していると思うのですが、配偶行動のパターンも異なっています。ニホンイシガメではオスがメスの目の前で手を揺らす行動をし、それが受け入れられてから馬乗りになって交尾をするのですが、ミナミイシガメのオスはいきなりメスに馬乗りになり、四肢の爪でしっかりとメスの甲羅をつかみ、メスの首筋に噛みついて強引に交尾をするのです。
また、このカメの体の大きさは人口密度(亀口密度?)に関係しており、密度の低い場所では小さく、密度の高い場所では大きくなることが分かりました。
西表では、日が充分に沈んだ午後8時ごろから水田のあぜや湿地の周りを歩いてカメを探します。姿を見つけることができたらじっと息を潜めて行動を観察し、その後捕まえて個体識別のためのマーキングをし、甲長や体重など各形質を測定して、捕まえた場所に放します。宿に戻ってくるのは明け方の4時ごろになります。
西表の夜は生き物の気配でいっぱいです。
水田では大きさが 2cm5mm ほどしかない、日本で最も小さいカエルであるヒメガエルが、体に似合わないやかましい大声で鳴いています。捕まえようとすると、小さいくせにものすごいジャンプ力で逃げていきます。
水田のあぜや湿地の岸にはサキシマハブが獲物を待ち構えていることもあります(写真2)。ヘビも爬虫類ですから一応捕まえて測定をしたり胃内容物を調べたりしますが、続けて5匹以上に出会うともううんざりで、早くカメの方を探したい気分になります。
写真2
タモ網の柄に噛みつく
サキシマハブ。
西表島にて。
道の端から端まで長いひもが落ちていると思ったら、全長が 2m40cm のサキシマスジオというヘビの横断中だったこともあります。
西表島にはもう十数回も渡ったにもかかわらず、イリオモテヤマネコには2回しか遭ったことがありません。カメに夢中で、あまり真面目に探す気がないからでしょうか。このネコの尾はとても太いので、集落で飼われているイエネコとはすぐに区別がつきます。
空を見上げれば満天の星空です。空気が澄んでいて街の光が邪魔することもないので、星がとてもたくさん見えます。北極星は東海地方で見るよりもずっと低い位置に見え、かなり赤道に近付いているんだなと実感されます。
そしてヒトは私ただ一人。西表の夜はそうして更けていくのです。
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学祭実行委員会報告記事
第10回豊田学泉祭大成功!
「第10回豊田学泉祭」は11月13日(土)・14日(日)に開催されました。今回は1870人余りの来場者になり、昨年度来場者数500人の3倍以上になりました。今回のテーマは『TEN〜新たな出発〜』で、学祭開始10周年目の区切りとして、これまでの「豊田学泉祭」の経験をまとめつつも、新たな思考で学祭を行ない、来年度以降の学祭へと繋げようという意図のもとに行なわれました。
一日目は「着ぐるみポケモンショー」や当日参加型のイベントで大学の周囲の住民の方々とともに盛り上がりました。二日目は「tohkoスペシャルライブ」などのライブや宮前真樹さんを特別ゲストに迎えたステージイベントなどをメインにして、周囲の大学との共同企画など、主に学生を中心に多くの来場者を迎えました。
また、二日目は、保護者会やOB会などもあり、多くの参加者が学祭を訪れました。開催二日間を通して大したトラブルも無く、豊田学泉祭は終了しました。
ある学生は、「飛び入り参加可能なカラオケ大会や野外ステージでの軽音楽部のライブなど、昨年よりも盛り上がって、非常に面白かった」とコメントしてくれました。
学祭実行委員会の会長は、「今年の学祭は、学祭実行委員会の人数不足に悩まされたり、準備不足など多少のミスもあったものの、成功であった。来年度は今年の学祭を越えられるような新たな『豊田学泉祭』が出来る様に頑張っていきたい」と総括しています。
来年度の学祭もみんなで成功させましょう!
(学祭実行委員 高野哲朗)
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